2007年3月14日水曜日

宝塚の歴史

さて、花の宝塚は、いつごろできたんでしょうか?
また、どんな歴史をもっているんでしょうか?
う~ん、興味がありますネェ♪

それではさっそく調べてみましょう。
以下、出典はWikipediaからです。

阪急電鉄の創始者小林一三が1913年に結成した宝塚唱歌隊が前身。
翌年1914年、少女歌劇団となり宝塚新温泉で初演。初演演目は桃太郎を題材した『ドンブラコ』。

☆ドンブラコってところが時代を感じさせますネ。
 1913年っていうと、その前年の7月に大正天皇が即位し、大正時代が始まった時です。
 都市部には享楽的な文化が育つと同時に、大正デモクラシーなどをはじめ、いままでになかった社会的な矛盾も現れ、安定というよりも、激動の時代だったようです。
 そんな時代だからこそ、人々はひと時の夢を求めていたのかもしれません。

* 1913年(大正2年)7月、小林一三が宝塚唱歌隊を発足。
* 1913年(大正2年)12月、宝塚少女歌劇養成会と改めた。
* 1914年(大正3年)、宝塚少女歌劇団として宝塚新温泉で初演した。
演目は「ドンブラコ」「浮かれ達磨」「胡蝶」の三本立て

* 1919年1月、養成会を解散し宝塚音楽歌劇学校を設立。<音楽学校と歌劇団は一体である>
* 1923年、入学年齢を数え年13~19歳とする。
* 1939年(昭和14年)、宝塚音楽舞踊学校と改称し、宝塚歌劇団と分離。
* 1946年、宝塚音楽学校に改称。予科一年制。
* 1947年、入学年齢を数え年16~18歳とする。
* 1949年、学則改定により、入学年齢は数え年17~18歳、卒業後の進路は自由となる。
* 1951年、準学校法人となる。
* 1953年、入学年齢は満15~18歳となる
* 1957年、予科・本科の二年制となる。

* 1921年(大正10年) - 公演の増加により花組・月組の二組に分ける。
* 1924年(大正13年) - 宝塚大劇場が完成。雪組を新設。
* 1933年(昭和8年) - 春日野八千代の台頭と東京公演の増加のため星組を新設。
* 1934年(昭和9年) - 東京宝塚劇場が開場。
* 1938年(昭和13年) - 初の海外公演。(ドイツ・イタリア・ポーランドを巡回)
* 1939年(昭和14年) - 時局悪化の為星組を廃止する。
* 1940年(昭和15年) - 宝塚歌劇団に改称。
* 1944年(昭和19年) - 戦争により宝塚大劇場・東京宝塚劇場が閉鎖になる。

☆やはり戦争の影響は、宝塚にも大きな影を落としていたんですネ。

* 1946年(昭和21年) - 数年間、男性団員を入学させた。

☆男子団員が入学したのも今となっては?ですが、結局「女子研究生やファンらの反対により、最後まで本公演には出演することはなく、1954年に男子研究員たちが他の劇団に移籍し、解散となった」そうです。
 やはり、女の園だからこその宝塚というのは、今も昔も変わらないんじゃないでしょうか。

* 1946年(昭和21年) - 宝塚大劇場が公演再開。
* 1948年(昭和23年) - 労働基準法対応の為星組を復活する。
* 1951年(昭和26年) - 小林一三と秋田實が立ち上げた「宝塚新芸座」元で「宝塚歌劇団」と共に活動始める。
* 1974年(昭和49年) - 「ベルサイユのばら」初演、大ヒット。
当時テレビに押されて低迷傾向だった宝塚歌劇の中興作品となった。これをきっかけに宝塚ファンが急増する。

☆出ました「ベルばら」まさに一大社会現象といっても過言ではなかったです!

* 1978年(昭和53年) - 宝塚バウホールが開場。
* 1989年(平成元年)1月8日 - 前日の昭和天皇崩御を受けて公演を自粛。
* 1993年(平成5年) - 宝塚大劇場が改築され、旧劇場は69年の歴史を終える。
* 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災で宝塚大劇場・バウホールが被災。この日より暫くの間は公演不能に陥るが、『国境のない地図』で公演再開。
* 1996年(平成8年) - ウィーンミュージカル『エリザベート』を雪組が初めて日本に紹介、大ヒット。
* 1998年(平成10年) - 東京公演の通年化の為、宙(そら)組を新設。東京宝塚劇場の改築のため、仮設劇場のTAKARAZUKA1000days劇場を開場。
* 2001年(平成13年) - 新・東京宝塚劇場が開場。

☆宝塚の魅力は、時と共にますます輝き、衰えることのないような気がします。
 これからも応援していきたいですネ!

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