宝塚の組編成
さて、いよいよ核心に迫っていきますよォォォ♪
宝塚の組編成 (つまり、星組とか雪組とか…)ってどうなってるんでしょう?
いや~興味ありますネ~!
それでは行きますよ!出典はいつもの通り、ウィキペディアからです。
組構成
* 専科
* 花組
* 月組
* 雪組
* 星組
* 宙組
生徒は、5つの組(花、月、雪、星、宙)と、専科に分けられており、各組がそれぞれ公演を行い、必要に応じて専科に所属する生徒がこれに参加する。
各組には組長・副組長がいる。
* 組長は組を統括・管理し、公私にわたって組子の面倒を見ている。最上級生が就任することが多い。
* 副組長は組長を助け、組を統括・管理し、組長に事故があるときはその任務を代行する。
☆ナルホドォ~。では、今現在の組には、どんなスターがいるのでしょうか?
現在のトップスターたちを見てみましょう。
ムフフ、だんだんと楽しくなってきました。
◎専科:
轟 悠 愛称 トム
春日野八千代 愛称 ヨッちゃん
松本悠里 愛称 ミエコ
鈴鹿 照 愛称 ヨネ
立 ともみ 愛称 ともみ
矢代 鴻 愛称 シビ
萬 あきら 愛称 ケイ
藤 京子 愛称 -
京 三紗 愛称 いっちゃん
汝鳥 伶 愛称 ユー、ユーコ
星原美沙緒 愛称 ホシ
邦 なつき 愛称 まり
一樹千尋 愛称 HIRO
未沙のえる 愛称 まや
光 あけみ 愛称 ケミ
磯野千尋 愛称 ソルーナ
箙 かおる 愛称 チャル
一原けい 愛称 プリマ
五峰亜季 愛称 まゆみ
◎花組:
春野寿美礼 愛称 おさ
桜乃彩音 愛称 あやね
真飛 聖 愛称 ゆうさん、うん
壮 一帆 愛称 So
愛音羽麗 愛称 みわっち、みわ
◎月組:
瀬奈じゅん 愛称 あさこ
彩乃かなみ 愛称 みほこ
大空祐飛 愛称 ユウヒ
霧矢大夢 愛称 きりやん、いとーちゃん
遼河はるひ 愛称 AHI
◎雪組:
水 夏希 愛称 ミズ、ちか
白羽ゆり 愛称 となみ
未来優希 愛称 ハマコ
彩吹真央 愛称 ゆみこ
音月 桂 愛称 KIMU
◎星組:
安蘭けい 愛称 とうこ
遠野あすか 愛称 あすか、ふくい
立樹 遥 愛称 しい
涼 紫央 愛称 とよこ
柚希礼音 愛称 CHIE
◎宙組:
大和悠河 愛称 ゆうが、たに
陽月 華 愛称 うめ
蘭寿とむ 愛称 とむ
悠未ひろ 愛称 とも、ともちん
北翔海莉 愛称 みっちゃん
おおおお♪美しい!
もっと近くで、もっと長い間見ていたい。
そう思いますね!
これだけの美形だからこそ、くっさい(?)芝居でもかえって華があって引き立つんでしょうね!
ああああ、本舞台が見たくなってきました!
宝塚の歴史
さて、花の宝塚は、いつごろできたんでしょうか?
また、どんな歴史をもっているんでしょうか?
う~ん、興味がありますネェ♪
それではさっそく調べてみましょう。
以下、出典はWikipediaからです。
阪急電鉄の創始者小林一三が1913年に結成した宝塚唱歌隊が前身。
翌年1914年、少女歌劇団となり宝塚新温泉で初演。初演演目は桃太郎を題材した『ドンブラコ』。
☆ドンブラコってところが時代を感じさせますネ。
1913年っていうと、その前年の7月に大正天皇が即位し、大正時代が始まった時です。
都市部には享楽的な文化が育つと同時に、大正デモクラシーなどをはじめ、いままでになかった社会的な矛盾も現れ、安定というよりも、激動の時代だったようです。
そんな時代だからこそ、人々はひと時の夢を求めていたのかもしれません。
* 1913年(大正2年)7月、小林一三が宝塚唱歌隊を発足。
* 1913年(大正2年)12月、宝塚少女歌劇養成会と改めた。
* 1914年(大正3年)、宝塚少女歌劇団として宝塚新温泉で初演した。
演目は「ドンブラコ」「浮かれ達磨」「胡蝶」の三本立て
* 1919年1月、養成会を解散し宝塚音楽歌劇学校を設立。<音楽学校と歌劇団は一体である>
* 1923年、入学年齢を数え年13~19歳とする。
* 1939年(昭和14年)、宝塚音楽舞踊学校と改称し、宝塚歌劇団と分離。
* 1946年、宝塚音楽学校に改称。予科一年制。
* 1947年、入学年齢を数え年16~18歳とする。
* 1949年、学則改定により、入学年齢は数え年17~18歳、卒業後の進路は自由となる。
* 1951年、準学校法人となる。
* 1953年、入学年齢は満15~18歳となる
* 1957年、予科・本科の二年制となる。
* 1921年(大正10年) - 公演の増加により花組・月組の二組に分ける。
* 1924年(大正13年) - 宝塚大劇場が完成。雪組を新設。
* 1933年(昭和8年) - 春日野八千代の台頭と東京公演の増加のため星組を新設。
* 1934年(昭和9年) - 東京宝塚劇場が開場。
* 1938年(昭和13年) - 初の海外公演。(ドイツ・イタリア・ポーランドを巡回)
* 1939年(昭和14年) - 時局悪化の為星組を廃止する。
* 1940年(昭和15年) - 宝塚歌劇団に改称。
* 1944年(昭和19年) - 戦争により宝塚大劇場・東京宝塚劇場が閉鎖になる。
☆やはり戦争の影響は、宝塚にも大きな影を落としていたんですネ。
* 1946年(昭和21年) - 数年間、男性団員を入学させた。
☆男子団員が入学したのも今となっては?ですが、結局「女子研究生やファンらの反対により、最後まで本公演には出演することはなく、1954年に男子研究員たちが他の劇団に移籍し、解散となった」そうです。
やはり、女の園だからこその宝塚というのは、今も昔も変わらないんじゃないでしょうか。
* 1946年(昭和21年) - 宝塚大劇場が公演再開。
* 1948年(昭和23年) - 労働基準法対応の為星組を復活する。
* 1951年(昭和26年) - 小林一三と秋田實が立ち上げた「宝塚新芸座」元で「宝塚歌劇団」と共に活動始める。
* 1974年(昭和49年) - 「ベルサイユのばら」初演、大ヒット。
当時テレビに押されて低迷傾向だった宝塚歌劇の中興作品となった。これをきっかけに宝塚ファンが急増する。
☆出ました「ベルばら」まさに一大社会現象といっても過言ではなかったです!
* 1978年(昭和53年) - 宝塚バウホールが開場。
* 1989年(平成元年)1月8日 - 前日の昭和天皇崩御を受けて公演を自粛。
* 1993年(平成5年) - 宝塚大劇場が改築され、旧劇場は69年の歴史を終える。
* 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災で宝塚大劇場・バウホールが被災。この日より暫くの間は公演不能に陥るが、『国境のない地図』で公演再開。
* 1996年(平成8年) - ウィーンミュージカル『エリザベート』を雪組が初めて日本に紹介、大ヒット。
* 1998年(平成10年) - 東京公演の通年化の為、宙(そら)組を新設。東京宝塚劇場の改築のため、仮設劇場のTAKARAZUKA1000days劇場を開場。
* 2001年(平成13年) - 新・東京宝塚劇場が開場。
☆宝塚の魅力は、時と共にますます輝き、衰えることのないような気がします。
これからも応援していきたいですネ!
宝塚とは
何代にもわたって熱烈なファンに支持されている宝塚歌劇団。
いったい宝塚って何? ヅカファンって? その魅力とは?
つい最近、この謎深き秘密の園に興味をもったこの私。
でも、知っているのは、あの「ベルサイユの薔薇」(古い?)位。
「アンドレー」「オスカ~ル」とか…
ムゥ~、そんなことでいいのだろうか?!
(いいんじゃない?)
それならば同好の士、興味だけはあるという方も多いのでは?っつうことで、いろいろ調べてみることにしました。
まずは概論から
「宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)は、女性だけからなる日本の歌劇団。
阪急電鉄が運営している。
理事長は小林公一(創始者小林一三のひ孫、阪急阪神ホールディングス取締役)。」(出典 Wikipedia)
へーっ。阪急の系列だったんだ。有楽町にも百貨店がありますよネ!
「創立当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指しており、演目は健全かつどの世代の人が見ても楽しめるものである。芝居の内容は古今東西にわたり、歴史劇、ファンタジー、そしてSFまで非常に多岐に及ぶ。」(出典 Wikipedia)
なるほど、どんな世代の誰でもが健全に楽しめる世界なのねぇ♪
「主に、専用劇場である兵庫県宝塚市の宝塚大劇場と、東京都千代田区の東京宝塚劇場において公演を行っている。また、中劇場の宝塚バウホールも持っている。」(出典 Wikipedia)
僕も、東京宝塚劇場の前までは行ったことがあります(笑)
今度入ってみようっと♪
「一般には「宝塚歌劇」を「タカラヅカ」や「ヅカ」、宝塚歌劇の団員を「タカラジェンヌ」(パリジェンヌのもじりで、団員たちは「宝塚乙女」と自称)、宝塚歌劇のファンは「ヅカファン」呼ばれる。宝塚音楽学校と一体だったときのなごりで団員は「生徒」、稽古場は「教室」、演出家は「先生」などと呼ばれている。」(出典 Wikipedia)
この呼び方がカッコイイよネ~。憧れちゃうワ。
「テレビ放送が普及した頃、一時期観客動員が低迷し、一部のマスコミからも酷評を受けたことがあった。しかし、池田理代子原作のベルサイユのばらの舞台化の大成功によって脚光を浴び、女性の多くが宝塚歌劇に憧れるようになった。特に養成機関である宝塚音楽学校の倍率がそれまでは4倍前後であったのが、「ベルばら」後は20倍前後になっている。」(出典 Wikipedia)
なるほどー。ベルばらはものすごい効果があったんですネェ。
んー。でもこれで宝塚がわかったとは到底言えません。
次回からもっともっと調べていきまっせー!